2010年4月12日月曜日

芸術祭参加作品のような見事な手術

芸術祭参加作品のような見事な手術 だと、私のような素人がどうして分かるのか、不審に思う人がいるかもしれないので、書いておきたいと思う。判断の基準は、以下の三点である。


 1. 症状をきれいに消している。
 2. 後遺症を残していない。
 3. 縫合の後が、女性の顔の傷を縫ったあとのように美しい。

外科手術に、これ以上何も望めないと思う。

 ただし、ギネスブック級というのもある。骨盤骨折の手術をした後、どうも具合が悪いというので治療に来た人がいた。その人は、要するに術後の筋力の回復過程で凝りを生じたのである。

 驚いたのは、縫った後がまったくなかったことである。要するに、外科医が骨接ぎの仕事をしたのである。ハンモックに半年間寝ていたという。だから手術ではないのかもしれない。

 これには、ほとほと感心した。こんな医師がいるんだ、ということに感動もした.

 この先生は、医学史、ことに解剖学の歴史に関する大変な研究をしていて、立派な著書もある。月並みの大学教授では、学識が及ばないだろうと思う。大学教授と言ってもエスカレーター式に出世しただけの人は、不勉強がすぐにバレる。

 実際、中津である学会が開催されたとき、出席していた大学教授よりもこの先生の方が医学史に詳しかった。これには、笑ってしまった。

 この先生は、大分の中津(なかつ)に住んでいる。中津は伝統的に外科のレベルが高い。蘭学が盛んな土地であったことが影響しているのだ。和蘭辞書の「中津辞書」は、有名である。これは、明治維新の前に、中津藩主の奥平昌高(おくだいら まさたか)がみずから作ったのである。

 だから、伝統がある。伝統は人に力を与える。こういう偉い藩主は、世紀を超えて土地に影響を与える。

 私が住んでいる大分市(府内藩)は、どうだったか? 

う~ん。・・・・ 府内の伝統???  日本で最初の西洋医学の発祥の地であるにしては、なんだか寂しい。医師アルメイダの名を冠した「アルメイダ病院」があるが・・・・

 府内藩医だった多賀墨卿(たが ぼっけい)は、三浦梅園の『多賀墨卿君にこたふる書』で、名前だけは知られている。

 中津のある医師が、大分市はチャラチャラしていてイヤだ、とメールに書いていたことがある。

 そういわれると、反論が出来なかった。前知事(平松知事)の時代のことである。たしかに、チャラチャラしていた。そのときの負債に、いまの大分県は苦しんでいる。

 土地柄、あるいは、その地域の伝統は、世紀単位で影響を与え続ける。

 大分には長く住んでいるが、スケールの大きな人物に会ったことは、まだ一度もない。B29が、市内一面を焼け野原にしたことが影響しているのであろうか? 

 私の祖父は、この爆撃で死んでしまった。写真も何も残っていない。

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