まずは、不勉強な大学の先生たちのことである。文系にこういう人がけっこう居る。
ずいぶん前、大分合同新聞社が「三浦梅園の総合的研究」という企画を100回連載で、行ったことがある。私には、『多賀墨卿君にこたふる書』の解説が回ってきた。この記事の中で、
『多賀墨卿君にこたふる書』(以下『多賀書』)
と、はじめの部分に書いた。字数が制限されているので、長い名前を何度も使うことが出来なかったからである。
それからしばらくして、2、3人の先生方の論文に、『多賀書』と書かれているものを見た。これには、笑った。いや、呆れた。三浦梅園が多賀墨卿に宛てた書簡は、三通ある。
1.多賀墨卿君にこたふる書
2.再答多賀墨卿
3.三答多賀墨卿
何のことわりも無しに、『多賀書』と書いてはいけない。そんな名前の執筆物は、無いのである。それを平気でやる教授達もいることは居る。こんなのは、まだマシな方で、他人が書いた本を自分の名前で出した人を三人知っている。ひとりは、原稿を書き上げた後亡くなった人のその原稿を、自分の名前で出版したのである。
学生は、ひよこみたいなものだから、分かりはしない。
学校の先生というのは、知識の落差で飯を食っている。三〇歳くらいまで勉強すれば、大学でも一生飯を食っていける。それにあぐらをかいている人は、勉強しない。
以前、文献学の専門家と話をしていたとき、著書も論文も何もない大学教授が、私立大学にはたくさん居るよ、と言われて驚いた。大学教授が粗製濫造された時代があったのだ。この人達は、もともとは高校の教諭だった人たちである。
遅刻してきた上に、窓から入ってくる学生が居ると言うことにも驚いた。授業中、話を聞かずにずっと化粧をしている女子学生が、自分が担当しているクラスに数人いる、という話を聞いて驚いた。学年末になると、
センセー、可をくれるんなら一晩おつきあいしてあげる。
という女子学生が、毎年2、3人いるという話もしてくれた。笑える話ではない。俺も男だからねぇ、困るよ、と真顔で言っていたが、いつも同じ返事をするという。
よしよし、先生のお嫁さんになってくれたら可をあげる。入籍してからね。
私のお客さんに、心臓に小さな穴が空いている人がいた。心臓にまでカテーテルを通して、電気でそれをふさいだのだそうだが、運悪く、また、穴が空いてしまった。
その人が、再手術は絶対にしないという。その理由は、研修に来ていた学生のニヤけたおしゃべりが許せないのだという。
ずいぶん、苦しい手術だったらしい。そのそばでぺペチャクチャおしゃべりをされたのが許せないという。
別のお客さんは、父親があと数日の命だと言われたとき、当直の医師と看護師がぺちゃくちゃ話をしているのが許せなかったという。
少し静かにしていてくれませんか・・・・
と言ったら、
大丈夫ですよ。僕たちは馴れていますから。
と若手の医師が答えたという。おいおい、葬儀社の人は、葬式には馴れているはずだが、葬儀の間は静かにしているだろう。おしゃべりはしないだろう。
要するに、そういう学生は、そういう医者になる。そういう医者を作ったのは指導者の責任である。
分野を問わず、社会のモラルが、崩壊しているのである。
私の父親は、昭和55年に脳梗塞で倒れて、別府市の救急病院に運ばれたのだが、驚いたことに、当直の老医師は、寝たまま起きてこなかったのである。父が仰向けのまま嘔吐して、それを吸い込んでしまったときに、
抗生物質の注射を打ちに、一度だけ起きてきた。それっきりまた眠ってしまって、看護師が呼びに行っても起きてこなかった。責任放棄も、ここまでくると犯罪である。
それから40年たつが、まれに、お客さんが似たような話をすることがある。
以前、経済産業省の査察官の治療をしたことがある。その人は、
世の中で悪徳医ほどどうしようもないものない。
と言っていた。そういえば、賭けゴルフで、金の代わりにバイアグラを賭けた医師がいる。
こういうモラルの崩壊について書き出すときりがないのが、いまの日本の現状である。
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