以前にも何例かあったのだが、最近また同じような状況で来院した人がいたので、この問題について書いておこうと思う。「この問題」というのは、現在の日本が国民に対して与えている各種健康保険による医療サービスと、国民が必要としている医療ニーズのギャップに関するものである。おそらく厚生労働省はこの問題に気づいていないし、多くの医師も気づいていないと思われる。
これらの患者は、いわゆる不定愁訴を訴えて、自分にとって一番気になる症状を改善してくれそうな医療機関に足を運ぶ。たとえば、頭痛であれば一般内科か脳神経外科、耳鳴りやめまいであれば耳鼻科である。
そうしてほとんど「異常なし」という診断を受けるのである。医療機関の処方としては、鎮痛剤や精神安定剤、入眠剤、あるいは、ステロイドの点滴やペインクリニックで行われる星状神経節ブロックなどである。こういう処置を受けてなおかつ改善しない人、というか、ほとんど何も変わらないような人が、たまたま人に尋ねて私の治療を受けに来ることがある。
最初は、こちらも対症療法的な治療をする。通常はそれで症状は改善するはずであるが、これらの人は、改善しても一時的か、あるいは大して変化しないのである。
こういうときは、「これは変だ・・・」という勘が働く。それからの仕事は、いわゆるライフイベントについて少しずつ聞き出すことである。ライフイベントというのは、出産・育児・教育・仕事・結婚・住宅・引越・医療・介護・葬儀などのことを言うが、年齢や性別に応じて、関係の深そうなことから少しずつ聞き出していく。
そうすると、近親者の死や、高齢者の介護や、子供との不仲、嫁と姑の確執など、さまざまなことが生活のストレスとして隠れていることが分かる。このストレスがときとして深い抑鬱状態を作り出していることがある。それを即座に鬱病と決めてしまってよいものかどうかは、私には分からないが、 もしも、これらの人々が心療内科を訪れれば、神経症、神経症的抑鬱、あるいは鬱病という診断を下されるだろうと思う。
もし現代のようなせわしなさのないゆったりとした時代ならば、こういう場合は毎日お灸をすえ続けるか、あるいは漢方薬などでじっくりと気力と体力が回復してくるのを待つことが出来ただろう。毎朝、朝日を拝んで柏手を打つことで少しずつ回復していくと言うこともあり得るだろう。
しかし現代社会には、そのようなゆとりはない。患者はすぐに治ることを望んでおり、治療には即効性が求められている。 こういう人たちは、いわば、水位の下がった湖のような状態になっていて、ボートに乗ってゆったり進もうとしても、水面に顔を出した岩などにぶつかってしまうのである。そのたびに、止まったり、傷ついたりする。それが要するに、これらの人たちが訴えている「症状」なのである。
だから問題は、水位を上げることにあるのであって、対症療法的に症状を消そうとすることで解決するものではない。水位を上げるということは、要するに気力と体力を上げるということだ。
現代医学では、心療内科や精神科で処方される抗うつ剤がその効果を持っているが、まだ、決定打となる薬は作られていない。かなり良い薬はあるが、効果は人によってさまざまだし、不眠や不安などの副作用もそれなりに強く、処方が適当でなければ返って危険な場合もある。
以前は、家庭に誰かひとりかふたりは、お灸を据えることの出来る人がいたが、いまは居ない。そんなことをする時間もない。
・・・要するに、何を書きたいかというと、現代社会に於ては、医療サービスと医療ニーズの間に大きなギャップが出来ていて、それが慢性的な疾患を抱える多くの人を治せない原因のひとつになっていると言うことだ。
そして、それらを治していた針や灸の技術の多くは、もはや社会から消えてしまっている。
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